代表社長 石川章
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- 石川ピアノライン伝説
伝説その5 「外装クリーニング」フランス製、エラール社、コンサートグランド
1890年〜1905年ぐらいの製造です。100年以上前のピアノです。フランス製、エラール社、コンサートグランドです。
内閣府迎賓館所蔵 昭和の皇后様 香淳皇后 ご愛用のピアノ 国営昭和記念公園 昭和天皇記念館 展示中 東京都立川市
修復 2006年9月 石川ピアノライン 石川章・石川慶太
見事な花がらの絵が全体をつつんで、なんと優美!修復には、全体の汚れを落とした後、当時の材料で色を出していきます。
フランスのエラールのマークです。
芸術的で、貴賓があり美しいです。
各部には多くの彫刻が施され金色に、飾られています。角材の脚ではなく、だるま脚です。装飾には細かな割りがあります。
脚の一番下のキャスターです。
真ちゅうで作られ装飾をしています。
ペダルも同様です。
後奥が富士の副館長、
中が長門館長で私です。
修復後のエラールグランド前です。
記念館内にて
(2017年1月更新)
伝説その4 「古典ピアノの修復」
古典ピアノの修復は7台目位になります。
180年前のイギリスのコラード&コラードのグランドピアノ、80年前のk・kawaiのグランドピアノ、120年前のドイツのアップライトピアノと手掛けてきました。
そして2006年9月10日にフランスのエラール、コンサートグランドピアノの修復を終えました。
昭和天皇記念館に2007年3月末まで展示しています。
これは1905年頃の製造で、香淳皇后御愛用のピアノでした。
展示が終わると迎賓館に戻されます。
フランスの財産であり、誇りであるこのピアノの修復は細かな作業でありましたが、岩手県人の頑固さと熱意で大成功に終わることが出来ました。
皆様もぜひ見学に行って下さい。
これは平成18年9月22日に盛岡タイムスに掲載していただきました。
(2007年5月更新)
伝説その3 「"もったいない"という心」
いわき市の平幼稚園の園長、石坂実代子先生から保護者寄贈の50年位前のアップライトピアノの修復のご依頼が来ました。
外装は日焼けの為ひび割れ、鍵盤ぶたは2つに割れていました。何年も前から使用していないとのことでした。 初めての全面塗装をしました。ウォールナットに仕上げ、弦、アクション、鍵盤と 修復して1ヶ月位で届け、今は子供たちの教室に戻り、現役で活躍しています。
古いから使わずに破棄するのではなくて、修理して使う。 "もったいない"という心を園長先生から教わりました。
これは平成18年9月21日(木)の河北新報に掲載されました。
(2006年12月更新)
伝説その2 「修理の嬉しい思い出」
技術の研鑽を重ねている頃、お客様から依頼が入りました。
家の立て替えの為、6ヶ月間大工さんの倉庫にピアノを保管、 ふとんをカバーにしていた為、湿気でカビと錆の為とても良くない状態でした。 オーバーホールをお願いしたところ、修復をして新築のお宅に設置しました。 期間は10日位でした。
そのお宅のお子様は低学年でピアノの練習はあまりしないそうですが、 キレイになったピアノを見て、音が良くなったので猛烈に練習。 一週間後の発表会でみごと金賞をとったそうです。 お母さんに「子供は素直で上手になるよ。」とお渡しする時お話ししました。 お母さんは全くそのとおりだった事を手紙で知らせて下さいました。 その時からまた一段と修理に力が入った事を覚えています。
(2006年11月更新)
伝説その1 「2000年1月」
私は震災の爪跡が色濃く残る兵庫県芦屋にいた。 ここ滝沢村から1200kmの遠い所、4tトラックを走らせて12時間、疲れのため朝だというのに目がうつろだったことを思い出す。
町の大半が赤土の広場で、まだテントが張ってあった。 『なんでテントがあるのか?』『まだそこに生活してるんだ』驚いた。 テント生活者がいるのだそうだ。 私は思った。こんなに町が破壊されているのだからピアノの姿なんかどこにも無いのだろうな。 私はピアノの買取に仕事のため芦屋に来たのだ。 セシリア楽器さんのオーナーの調律師・篠原洋一先生からの依頼で、宮城県蔵王町の調律師・氏家先生と二人で芦屋に来たのだった。
ピアノの運送は私の仕事ですので、帰る事はいつもの私の仕事。 もう一つはピアノを修理してお客様に渡す仕事を今回教わることが目的なんです。 篠原先生と氏家先生が心良く私に教えてくださり、セシリアメソットを習得、以来 年に3回位の技術講習を繰り返し、6年間で300台以上のピアノのクリーニングを手がけてきました。 篠原先生と氏家先生には『君が最初で最後、たった一人の弟子です』とも言っていただき、感謝にたえません。
(2006年10月更新)